島根県 海士町

モノとカタリ

一つのモノには、一つの物語がある

海士町に暮らす人、訪れた人の価値観・
人生の物語を集めました。
思い出のモノに宿る記憶と秘めた想い。
そんな物語を、あなたに届けます。

プロジェクトについて

「モノとカタリ」は、海士町で暮らす人々、この島を訪れた人々の「思い出のモノ」を通して、 その人の価値観や人生の物語を聞くプロジェクトです。

思い出のモノを通し対話をすると、初対面であっても自然にその人の価値観や考えを聞くことができ、 長い付き合いの中でも知らなかった、新しい人生の物語が見えてきます。この方法で対話することで、海士町の人同士や訪れた人が交流のきっかけを作り、海士町全体のコミュニティーがより親密になることを願っています。

きっかけ

海士町に移り住んだとき、島の人々と深くつながるためのきっかけを探していました。

ある日、長らく親しくさせていただいている地域の方の家に行った際に、何気ないメガネから私の知らなかった昔の海士町の物語を聞きました。「モノ」には、言葉では語り尽くせない記憶と想いが宿っている。そう気づいたことが、このプロジェクトのはじまりです。
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最新の物語

新しく届いた声をお届けします

一目惚れしたスニーカー
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一目惚れしたスニーカー

私の思い出の物はReebokのスニーカーです。今でも鮮明に覚えているのですが、高校2年生のとき、学校帰りにプリンを買いにスーパーへ寄ったら、見かけたお姉さんの足元がすごく可愛かったんです。でも声をかける勇気もなく、盗撮するわけにもいかず、買い物中のその方の靴を5分ほど観察して、こっそりロゴを読み取ったのがReebokとの出会いでした(笑)。Reebokの靴はどれも可愛くて、選ぶのが大変だった記憶があります。それからはその靴で、運動会やねぶた祭、アルバイト、キャンプ、そして富士山まで、気付けば6年間ずっと一緒に過ごしていました。中の型紙が折れて布を突き破っても、当て布をし補修して履き続けたくらいです。デザインが入口だったけれど、いろんな時間を共にしたから、それくらい愛着が大きくなっていったんだと思います。最後は修繕も不可能になってしまい、同じものを探したけど見つからず。写真を撮って、さよならしました。 それから新しい靴を買って履いていますが、あのスニーカーほどの思いは持つことができず、あれは自分にとってなんだか特別なものだったんだと思います。 >その靴と過ごした時間の中で、どんな活動や出会いが印象に残っていますか? そうですね。この靴は季節や場所に囚われずずっと履いていたので、本当に全部が思い出です。大学では、自然学校のNPO団体でボランティア活動をするサークルに入って、子どもたちとキャンプをしていました。自然の中でアウトドアクッキングをしたり、山を登ったり、自然の中で子ども達と過ごした時間は印象に残っていますね。他には東京と神奈川の間を100km歩くチャレンジハイクにも参加して、24時間3分で完歩したときもこの靴を履いていました。企画中に靴の中敷きがすり減り足が痛くなって、近くの靴屋に駆け込んだことも今となっては笑える良い思い出です。他にも富士登山に挑戦したときもこの靴で頂上を目指したし、写真フォルダを振り返ると、本当にどんな場面でも一緒の相棒のような存在でした。 > 元々、自然環境やそのような活動には興味を持たれていたのですか? 特別に、自然環境などの活動に興味が強かったわけではなかったですね。大学では教職課程をとっていたこともあり、サークルを選ぶときも「子どもと関われること」を基準にサークル活動を探していたんです。子どもの頃から火おこしに挑戦していたとか、家族と山登りに行っていたとかはなくて、自然活動はあまり経験がない状態からのスタートでした。それでも、学校の先生になる上で教育的な要素がある場所がいいなと思って、「子どもとキャンプをする」という点に惹かれてその活動を選びました。沢山の学びがあり自然教育の魅力を感じていた時期に、教育実習で授業を行った際に、先生1人に生徒40人という環境の中で、わからなそうな顔をしている子に寄り添いたくても授業の進行を優先せざるを得ない場面に出くわし、やるせなさを感じたんです。そのときに、「学校だけが教育の場じゃないのかもしれない」と考え、放課後の居場所づくりや自然・地域の中で子どもを育てることが自分の理想に変わっていきました。 >学校以外の場所で教育に関わるとしたら、どんな構想やアイデアを描いていますか? 学校の先生になることを諦めたときに、自分が次に何をしたいのかを考えたんです。私は旅行が好きでゲストハウスによく泊まるのですが、ああいう色んな人と交流できる場所が大好きなんです。宿泊する人同士や地域の人が自然に交流している空間を見て、こういう場を作れたら、なんだってできるかもと思うようになりました。宿の収益があれば日中は子どもたちが放課後にふらっと来られる場にも、地域との交流の場にも、みんなのたまり場にもなるんじゃないかと。そんな思いから、大学卒業後はホテル業に従事したり、カナダへワーホリに行ったりしていました。海士町に大人の島留学で来たのはまちづくりの勉強をしたかったからです。今後は自分の目指す宿をまちに根ざした場にするために、隠岐でもう少し地域と教育のことを学び続けていこうと考えています。新しいスニーカーを履いて、隠岐で色んな景色を見て、Reebokのそれを超えるくらいの思い出をつくっていきたいです。

大学に入ってから読み始めた絵本
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大学に入ってから読み始めた絵本

私の思い出の物は絵本です。今持ってる「Butterfly Child」っていう本は、イタリアのボローニャで毎年開催してる国際絵本市に2023年に行ったとき、原画を見て一目惚れした本なんだ!絵本は子どもの頃にも読んでいたけれど、大人になって読み返したときに、子どもにもわかるように書いてある言葉だからこそ、心にすうっと入ってくるものがあるんだと気づいたと同時に、こんなに感じ方が変わるんだと驚いた。中高の頃は本が本当に苦手で、読書感想文すら読むのが嫌で、国語も苦手だったんだよね。「話に起承転結がない」と言われることもあって、文章にアレルギーがあったくらい(笑)。でも、人と話すことは好きで、物語に惹かれる気持ちは残っていた。大人になって絵本を読むと温かさや深さがより感じられて、自分の気持ちと重なる瞬間が多いことに気づいて、それから絵本を読むようになったね。 >大人になって、あらためて絵本に触れるようになったきっかけは何だったんでしょうか? 絵本を読み始めたのは、大学に入ってから。大学の授業は全部英語で、授業内容自体もついていけていないのに、意見も求められること、高校でアメリカ留学をした時に憧れていたチアも、サークルで始めてみたら、体育会系の空気が強くて、そこにも全然合わなかった。そういうのが積み重なって、入学してすぐのゴールデンウィーク明けに大学に行けなくなって休学した。もともと明るくて学校が好きだったから、親もびっくりして、そこから家に引きこもる時期もあったんだよね。そのとき「そういう時期もあるよね」って否定せずに見ててくれた高校の恩師で恩人・かっきー。その人の存在が本当に大きかったんだけど、その方に連れられて一緒に絵本屋さんに寄ったのが、絵本と出会い直す最初のきっかけだった。 >実際に本屋さんを訪れた時、どんなことが印象に残りましたか? かっきーが連れていってくれたのが、吉祥寺にある「緑のゆび」っていう本屋さん。絵本を見ていた時に、店主のおじいちゃんにとっても自然に「どういう関係?」って聞かれて、「高校の恩師です」って答えたら、「恩師って言葉が残ってるのは嬉しいね」って言われて。そのひと言がすごく印象に残ってる。そこで久しぶりに絵本を開いて、子どもの頃に読んだ『ぐるんぱのようちえん』という絵本を読んだら、大人になった今は全然違う読み方になってて、言葉の受け取り方とか居場所の感じ方がグッと刺さったんだ。 >今の慧さんにとって、絵本はどんな存在ですか? そうだね。緑のゆびで「絵本セラピスト」というものを知って。これは絵本について話すことで、その登場人物に自然に自分を投影して話すから、自分の本当の気持ちを自分を入れずに対話ができるっていうもの。自分のことを直接話すのは難しくても、「この登場人物、こう思ってる気がする」って言ってるうちに、気づいてなかった自分の気持ちにも気づけたりする。絵本のやさしい世界を通すことで、心が少しほぐれるような感じがして、その考え方がすごくいいなと思って。だから私にとって絵本は癒しであり、自分に気づくものでもあるんだ。

家を飛び出した時に母から送られてきた手紙
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家を飛び出した時に母から送られてきた手紙

思い出の物は母からもらった1通の手紙やね。高校を卒業してすぐに大阪に出たけど、同い年の友達はみんな頼れるやつになっていった。自分だけそこに置いていかれたような、どうしようもない孤独感があったと思います。そんな時、親が手紙を送ってきたんやと思う。22歳頃は好き勝手に生きていて、社会の厳しさなんて全然分からなかった。 >その時のこと、覚えてる事を教えて下さい。 普段、連絡なんてしないけど、何故かふと電話して、出たのはおかんで、話した内容は本当にたわいもない会話で、「元気してる?」「ちゃんとご飯食べてる?」そんなことだけ。 迷惑ばかりかけてるから叱られると思ってたのかな。でもその時おかんに「思うがままに生きなさい」って言われたんだよ。こんな自分をずっと応援してくれるのに、何も返してやれなくて、とにかくそれが辛くて、自分が腹立たしかった。 >お母様と電話されたことで、ご自身の中で何か変化はありましたか。 おかんに「思うがままに生きなさい」って言われた時、正直救われた気がしたんだわな。肯定してもらったような、すこし自信も持ったかな。でも現実は全然上手くいってなかった。 24歳の時に結婚したんだが、29歳で離婚してしまった。さすがに行き詰まって隠岐島に逃げ帰ったんだ。でも保育所から一緒だった友達に「田舎を舐めんな!お前は苦労した気になってるだけだ!まだ帰ってくる時じゃない!大阪帰って一旗上げてから帰ってこい」って叱られて大阪に追い返されたんだ。今思えば縁のおかげで、本当の友達に会えたと思うわ。それから大阪で死に物狂いで働いた。 >縁はどんなものだと考えていますか 人生を振り返ると、全部、縁やなと思う。大阪に追い戻された後、死に物狂いで働いて、借金の目処も立ってきた頃、34歳の時、会社が倒産した。いい出来事の縁とは言えないが、これも一つの縁や。それもあって家族や友達に「隠岐で仕事を探したい」って電話した。そしたらみんなが「いい事だ!一緒に頑張ろー!」と言ってくれて、隠岐に帰ろうと決めた。隠岐に帰って郵便局のバイトに入った。それから、2年くらいで社員になれて、3年後に西ノ島の浦郷に転勤になり、2年半で海士町の菱浦に転勤。郵便局で働いて18年を超えた。これだって色々な縁が重なって起きた事だわな。そういう意味で言うと、自分の想い出の物は母からの手紙でもあるが、たくさんの人との縁、たくさんの出来事との縁やな。全ての縁が自分を育ててくれた。縁とは、自分の人生そのものかな。

不思議な縁がある腕時計
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不思議な縁がある腕時計

私の思い出の物はカシオの腕時計です。今使っているのは4〜5代目くらいで、最初は大学受験のときに母が買ってくれたものでした。軽くて見やすくて、防水もあって、傷だらけになっても壊れないところがちょうどいいんです。何回も同じ物を買い替えて使っています。 >何度も買い替えていると仰っていましたが、どのようなタイミングで買い替えられているのですか? この時計は今まで一度も壊れたことはなくて、いつもなくすんです。受験が終わった後、大学でうまくいかなかった時期、休学中など、振り返るといつも人生の区切りのタイミングでした。何かが終わって、次に移る前に代替わりする時計なんだなあ、と感じています。また、私はもともと人に話しかけるのが得意な方ではありません。でもこの時計は同じのをつけている人が結構いて、それが自然に話すきっかけになることもありました。 >そんなふうには、今お話を聞いていると全く感じないです。 本当ですか。ありがとうございます。地元の神奈川にいた頃は、家族や友達など、同じような価値観の人たちと過ごすことが多く、コミュニケーションに苦手意識がありました。「井の中の蛙」みたいな状態がこのまま続くのが少し怖くて、海士町に来ました。 >今の海士町での暮らしの中で、その感覚はどんなふうに変わってきましたか? 海士町では、日常の中で自然に会話が生まれます。天気やご飯のこと、ちょっとした世間話など、何気ないやり取りの中に発見があって、単純に人と話すのって楽しいな、と思うようになりました。

ホテルマンになる時に姉からもらったボールペン
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ホテルマンになる時に姉からもらったボールペン

僕の思い出の物は、PARKERのボールペンです。20歳の頃「一流のホテルマンになるならいいボールペンを使いなさい」と言われて、誕生日に姉から貰いました。時計みたいにそんなにすぐ修理が必要になったりするものじゃないけど、少し壊れた時にはずっと自分で直し続けて使っていますね。 >ホテルマンという仕事を目指したきっかけは何だったんですか? 父がホテルマンで、子どもの頃に働いている姿を見ていたのが大きくて。家にいる父とはまた違って、黒服を着てゲストの前に立っている姿がすごくかっこよく見えたんです。サービス業って何なのか当時は分からなかったけど、人を迎える仕事って楽しそうだなと思って。高校の頃にはもう進路を決めていて、大学に行くよりもホテルの現場で働きたい気持ちが強くて専門学校に進んだんです。その後、東京や京都、沖縄、海外も含めて、気づけば10社くらいのホテルを経験してきました。 >これまでの経験の中で、大きな転機になった出来事は何でしたか? 38歳のときに、初めて総支配人(GM)になったことです。昔は若い人でGMになる人は少なく、50歳くらいが当たり前でした。昔から、現場で一番お客様を見ているのは「実は若いスタッフだったりするんじゃないか」と思っていて。だからこそ、若いスタッフの声をもっと現場に反映させたいという思いがありました。その声をちゃんと受け止められる立場に立つために、36歳でGMになることを目標としていました。 >伊藤さんにとって「いいホテル」「いいサービス」とは何ですか? マニュアル通りじゃないサービスができるホテルだと思っています。お客様が10人いれば、10通りのサービスがある。リゾートなのに堅すぎたらくつろげないし、逆に軽すぎても満足してもらえない。その人が今、何を求めているかを感じ取って動くのが仕事だと思っています。地域とも同じで、ただ観光地を紹介するだけじゃなくて、住んでいる人たちと顔の見える関係をつくることが大事。旅先で、その土地の人と一緒に何かをした記憶が残るホテルを、これからもつくっていきたいですね。

甲州印伝の名刺入れ
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甲州印伝の名刺入れ

私の思い出の物は、甲州印伝の名刺入れです。これは私が京都のホテル開業に携わっていた時に、たまたま寄ったお店で見つけたものなんです。鹿革に漆で模様が描かれたもので、赤とベージュの麻の葉模様は京都限定だそうなんです。東京で生まれ、山梨で育った私にとって、山梨の伝統工芸が京都で別の形として並んでいるのを見たとき、すごく惹かれたんです。仕事でいつも持ち歩く名刺入れだからこそ、自分が愛着を持っている土地の工芸品を使い続けたいと思って。仕事で使う機会も多いので、名刺入れからルーツを語ることができたりするんです。 >京都でのホテル開業ではどのようなことが印象に残っていますか? そうですね。もともとは、ずっとデザイン関係の仕事をしてきました。京都では、大学の研究室を経てITの会社でアートディレクターをしていたのですが、友人からの紹介をきっかけに新しい分野に挑戦しました。そこで初めてホテルの”マーケティング”に携わることに。一見、マーケティングとデザインはまったく違う分野に見えるのですが、やってみると共通している部分も多かったんです。また、京都で働いていた頃は、どんな場面でもつながりがとても大事だと感じましたね。仕事の打ち合わせのアポ取りでも「どなたのご紹介ですか?」と聞かれることが多くて。最初はとても驚いたのを覚えています。東京のように電話一本では進まず、人と人との関係を通して信頼を築く、そんな文化が根づいているなと思いました。 >マーケティングとデザイン、どんな部分が似ていると感じましたか? どちらも「問題を解決するための手段」という点で同じだと思っていて。デザインもマーケティングも、情報を集めて整理し、方向性を決めて形にしていく。その流れ自体は変わらないんです。そのために、“何を解決したいのか”“誰にどう届けたいのか”を考えるんです。私はずっと、デザインは”情報を整理して再構築するプロセス”だと思っていて、その考え方は、マーケティングにもそのまま通じていたなと感じています。最初に「目的」や「課題」を見つけるところから始まるんです。だから私は、どの分野でも“デザインするように考える”ことを大切にしてきました。デザインって、見た目を整えることじゃなくて、状況を観察して、そこから最適な形を導き出すことなんです。 >デザインの分野に関わられる中で、浅川さんが大切にしていることは何ですか? 「素直な目」と「オタク心」です。どんなことにも、先入観を持たずにフラットに見ること。そして、気になったものはとことん掘り下げること。子どものような素直さと、オタクのような探究心。その二つがあれば、どんな分野にもデザインは息づいていると思います。

桜の開花の様子をまとめたアルバム
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桜の開花の様子をまとめたアルバム

私の思い出の物は、隠岐神社にある桜の開花の様子を毎日撮ってまとめたアルバムです。一昨年、桜は隠岐神社の象徴のような存在だなと思い、これはちゃんと記録して残しておきたいと思って作りました。私は元々、家が隠岐神社のすぐ近くにあって、神社そのものがずっと日常で、自分の一部のような存在で。離島して、本土に住んでいた頃は桜の時期になると、自然とそわそわして落ち着かなくなる感覚がありました。   >その「そわそわする感じ」は、どうして生まれていたと思いますか? 正直、はっきりした理由は分からなくて。子どもの頃から見てきた風景だからなのか、それとも隠岐神社に誘われているような感覚なのか、どっちなんだろうって今でも思います。ただ、その感覚がずっと続いてきたからこそ、今こうして隠岐神社の仕事に関われているのかな、とも感じていて。振り返ると、偶然というよりは、ちゃんと線でつながってきたような気がして、今はその場所でガイドとして働けていることに、すごく納得しています。   >隠岐神社の観光ガイドとして、大切にしていることはどんなことですか? せっかく海士町まで来てくれたんだから、最後まで気持ちよく楽しんで帰ってほしい、ということを一番大切にしています。以前、観光ツアーに参加されていた女性がサングラスを忘れていかれたことがあって。次のツアーまで15分しかなく、その女性もツアー後、フェリーの乗船に向かっていたこともあり、間に合うかどうかわかりませんでした。でもそのまま帰るより、ちゃんと届けた方が気持ちよく終われるんじゃないかと思って、急いで届けに行ったんです。そうしたらギリギリ間に合い、本当に喜んでくださって。その反応を見たときに「ああ、やってよかったな」と思いました。   >こうした関わり方は、本土(都会)と海士町で違いがあると思いますか? 田舎だと、会って終わりにならないことが多い気がします。「どこから来たんですか」とか、「何をしている人なんですか」とか、自然と会話が生まれていく。時間としては短くても、ちゃんと人と人として向き合う感覚があるんですよね。都会では会う人数は多いけれど、どうしてもすれ違って終わることも多かったなと感じていて。島では、一つひとつの出会いがもう少し近くて、その分、一期一会でも気持ちはつながっていると思います。

著者と同じように旅をした紀行文
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著者と同じように旅をした紀行文

東京の古本屋で買った、新潮社の紀行シリーズ「ふるさと日本紀行」です。40年ほど前に出た本で、4人のカメラマンがそれぞれの感覚で日本各地を巡っている紀行文なんですが、これを読んだときに、ただ面白いなと思っただけじゃなくて、この通りに行ってみたいなと思ったんですよね。どこへ行くかを自分で決めて旅をするんじゃなくて、この本を設計図みたいにして、書かれている順番や感覚をなぞるように旅をするようになって。 > この本を手にして旅をすると、普段の旅行とはどんなところが一番違いましたか? 一気に移動する旅じゃなくなるところですね。この本が書かれた頃は高速道路も今ほど整っていなかったので、旧道を通って、人に道を聞きながら進む旅になるんです。本に出てくる宿や店がもう無くなっていることも多くて、看板だけ残っていたり、跡地を探し回ったりすることもありますね。そうすると自然と現地の人や役場の人に話を聞くことになって、観光地を見て回るというより、その土地で生きてきた人の話に触れる機会にもなりました。 > あえて自分で行き先を決めずに、本に書かれている通りに辿る旅について、どんな面白さを感じましたか? 自分の好みだけで旅をしていると、どうしても世界は狭くなっていくと思うんです。でも、この本に出てくる場所は、必ずしも自分が選ぶような場所じゃない。4人のカメラマンがそれぞれの感覚で選んだ道や土地を、そのまま信じて辿っていくと、思ってもみなかった場所に連れて行かれる感覚があります。他人の思考回路に一度身を預けてみることで、自分の世界が確実に広がっていく。その感じがすごく面白いんですよね。 > 旅以外でも、世界を広げるために何かしていることはありますか? 油絵を描いてみたり、ギリシャ語を勉強してみたり、言語や歴史に触れたり、いろいろやっています。世界中のことを知りたいという気持ちはずっとあるんですけど、全部の場所に行けるわけでもないので、別のやり方で世界を広げてきた感じです。そうやって集めた知識は、最初はバラバラな点でしかないんですけど、あとからふとした瞬間に線になってつながることがある。その瞬間がすごく好きなんです。

人生も飾られるお皿
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人生も飾られるお皿

思い出の物は、自分で買い集めてきたお皿です。社会人になってからお弁当を作るようになり、料理を楽しもうと思うようになったのがきっかけでした。お気に入りのお皿が欲しくなって、勤務先の近くにあった鎌倉でいくつか器を買ったんです。今は海士町で暮らしていますが、最初に来たときはそのお皿を持ってきておらず、あとから実家から送ってもらっていました。 >最初からお皿は持ってこられなかったのですか? 最初は、シェアハウスにある備品のお皿で十分だと思っていました。実際、生活すること自体には何の不便もなかったんです。ただ、しばらく暮らし てみると、食事の時間がどこか落ち着かない、というか、つまらなく感じるようになってきて。それで母に連絡して、実家に置いてあった自分が 買ったお皿を送ってもらいました。 >実際にお皿が届いてみて、どんなことを感じましたか? 自分が「素敵だな」と思って選んだお皿で食べることには、ちゃんと意味があったんだなと気づきました。備品のお皿が悪いわけではないんですけど、自分で選んだお皿に盛ると、食事の時間がきちんとした時間になる感じがして。最近は、お皿を見ているだけで、これを盛り付けたいなとか、これを食べたいなとか、自然と想像が広がるようになってきていて、その感覚がすごく好きです。きれいに盛ることで、人生も少し彩られるような気がしています。 >人生も彩られる。素敵な表現ですね。 自分はわりと自由で、放っておくとルーズになりがちな性格だと思っています。だからこそ、自分で選んだ器や、食事を整える時間があることで、気持ちが落ち着き、生活に秩序や区切りがつく。それによって食事だけでなく、人生も彩られていくような気がしました。

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モノとカタリ

島根県海士町で始まった「モノとカタリ」プロジェクト。 思い出のモノを通して、島に住んでいる人・訪れた人の「人生の物語」を聞きます。

海士町について

島根県隠岐郡海士町
日本海に浮かぶ、人口紏2,300人の小さな島。島の全体が国立公園に指定されるほど、自然豊かな島。
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運営者情報

モノとカタリ プロジェクト