海士町の経営補佐官をされている、水谷さんにお話を伺いました。
この原付だね。これは海士町に通う様になって、少し経った後に買ったものなんだよね。海士町に来はじめた頃は毎回、島の方が車で送ってくださっていた。だけど、僕は海士町に”学びに来させてもらっている側”という意識が強くて、島の人に時間を割いていただいていたことに、負い目を感じていたのが一つのきっかけだね。というのも、僕がリクルートを退職して全国の教育・地域の現場を巡る旅の中で、見つけた場所が海士町だからね。
どのような経緯で旅に出られたのですか?
リクルートキャリアで学生に関わって仕事をしていく中で、1民間企業の中では変えられなかった自分に残された宿題があった。それは”地域から若者が消えていく構造を止めること”、”公教育の中で生きる力を育てる”ということ。この2つのテーマを解決する方法を学ぶことを目的として旅に出たんだ。
公教育で生きる力ということについて具体的にお聞きしたいです。
僕はキャリアの仕事に関わっていたから、親や先生に期待に応えて有名大学に入学しても人前で”思いを語ること”ができずに就活に失敗し、うつ病になってしまったような本当の悲しい社会の現実というのを見てきた。だから僕は誰でも学ぶことができる公教育で、人前で思いを語ることや人に愛される力、一歩踏み出す力を育てなければいけないと考えた。
社会を変えたいなどという思いの原動力にはどんなことがあるのですか?
僕は元々社会を変えたいなんていう思いはなく、若い頃は人に褒められたいなどという感情から、自分のために仕事をしていた。だけど、自分のためだけに頑張っている人というのは周りにわかるんだよね。30歳の時に部下から「水谷さんは周りのことを考えていない。そんな人が上司であった欲しくない」と言われて9ヶ月間、うつ病になった。その時に人に褒められたいとか自分がイケてるなどというチンケなこだわりはただ孤独になっていくと思った。その時にカッコつけない”素でいきよう思った。それからは、人に評価されなくても素で、自分らしく生きている実感がちょっと持てるようになった。背伸びせずに、気張らずに社会に一石投じることができたらと思っているかな。

