140年前の金庫

140年前の金庫

語り手:渡辺さん
聞き手:原田陽人
2026年03月10日

御年92歳になられる、渡辺さんにお話を伺いました。

思い出の物というと、この金庫くらいかな。私の祖父がアメリカの海軍に勤めていたんだよね。だからアメリカから色々な装飾品を海士町に持って帰ってきた。だけど戦時中に供出(贅沢品などを国に渡すこと)し、あまり物は残ってないんだよね。だけどこの金庫は何故か、残っていて今でも使っているよ。(1885年製)

渡辺さんご自身、戦争当時は小学生くらいでしたか?

ちょうど、小学校卒業した翌年くらいに終戦だったかな。戦争が終わって、高等小学校(小学校に付属していた中学校のような場所)から新生中学校というのに転校したんだよね。僕は中学校までしか行ってないし、そんなに勉強したわけでもないけど転校してから教わることは少し変わったりしたね。新しく社会科や英語を習った。他にも教育勅語や修身などは無くなったね、

他にも戦時中で今とは違うことはありますか?

海士町は自給自足をしてる人も多いから比較的に食料もあって、ひもじい思いをすることはあまりなかったね。でも、麦の中に白米を少し入れて麦飯を食べていたりはしたね。他には、戦時中だから私の従兄弟も兵役の召集されて赤手紙が届くなんてこともあったな。召集で海士町から出る時は、みんなで日章旗を振りながら船を見送った。

中学校卒業後はお仕事に就かれたのですか?

戦後で戦時中より食料に困ったということと、10人兄弟の長男だったから家族を支えるためにすぐ仕事をしたね。中学生の頃から父から牛の扱い方や農業について教わっていたから、そこまで難しいものじゃなかったよ。他にも毎年11 月から3月ごろまでは定置網で船長として働いていた。

渡辺

渡辺さん

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モノとカタリ

島根県海士町で始まった「モノとカタリ」プロジェクト。 思い出のモノを通して、島に住んでいる人・訪れた人の「人生の物語」を聞きます。

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