海士町で柿谷商店を営まれている、柿谷ご姉妹にお話を伺いました。
あんまり小物で思い出の物という物も無くて、母から受け継いだこの商店を選んだよ。この商店は70年前に母が始めて、約30年前にだんだんと私たちが受け継いでいったんだよ。小さい頃から手伝いもしていたけど、母が1人で大きなかごを背負って港から商品を運ぶのを見ていたからね。
港から商品を運ばれていたんですか?
昔は隠岐汽船なんてなくて、隠岐丸という貨物船のような船が1日2便動いていたの。隠岐丸は港には停泊せずに港から少し離れた場所に停泊していたから、そこまで手漕ぎ船で行って荷物を受け取って商店に運んでいたそうだよ。本土に行く時にも隠岐丸で行くんだけど、船員さんが1人でお客さんを何人も乗せた手漕ぎ船を漕いで船まで行ったね。船の近くについたら梯子を登って、船に乗っていたんだよ。梯子を登っている時に落ちる人もいるくらい危なかったね。
お客さんを何人も乗せた重い船を、船員さんが1人で漕ぐなんて凄いですね。
でも昔の人はそれくらい普通だったね。私が小学生の時には、夏休みになると子ども達だけで手漕ぎ船を漕いで遊びに行ったね。今じゃできないけど、サザエを取ったりしてみんなで食べたね。昔は全部遊ぶのにも自分達で作ったから、冬には竹でソリを作って山道を滑ったり、釣り竿を作って釣りをしていたね。
自分たちで工夫して、楽しく遊ばれていたんですね。
今は便利な世の中になって、今の子達は自分達で何か作って遊ぶことは少ないもんね。でもたまには、昔の人のように自分達で作って遊ぶのも楽しいかもしれないよ。

